[コラム,ブルワー]2017.3.15

カルミネーションブルーイング

多くの醸造所には「お宝」がある。先祖代々受け継がれてきた精神のような目に見えないものだったり、創業時から使い続けてきた煮沸釜だったり、何を宝として大切にしているかでその醸造所の姿勢が浮き彫りになる。
過日、来日していたアメリカのブルワーのお宝にお目にかかる機会があったのだが、それは私の心を鷲摑みにするものだった。

カルミネーションブルーイングとは

オレゴン州ポートランドにあるカルミネーションブルーイングはペアリングと地元を大切にしている醸造所だ。チョコレートとスタウトなど、さまざまなペアリングイベントを開いている。食事とビールはもちろん、地元のミュージシャンも巻き込んでさまざまな手法でイベントを盛り上げている。オーナーであり、ヘッドブルワーでもあるトーマスの人柄もあるのだろう。自分のところだけがもうかればいい、名前が売れればいい、ということではなく、地元のチョコレート屋さんに出店してもらったり、近隣のブルワーのビールも置いてペアリングを楽しんでもらったりしているという。日本のブルワリーとの関係では近年、伊勢角屋麦酒がご神木の酵母を携えてトーマスを訪問、「アマテラスサワーウィット」というビールを造った。カリフォルニアの柚子を使ったそれは日米を通じて好評を博しているという。今回の来日ではその逆パターン。トーマスが事前に伊勢角屋麦酒に送ったレシピで一緒に醸造するのだ。

醸造所を作るきっかけ

トーマスは中西部のミシガン出身で、母親は仕事の傍らホームブルーをしていた。彼も若いころから手伝っていたのだという。彼にしてみればビールは飲むものより造るものという感覚があったのかもしれない。ミシガン州はアメリカ国内では保守的な土地として知られている。多くの若者がそうであるようトーマスにも閉塞感はあったものの、テレビマンとして有能な仕事ぶりを誇り、エイプリルという恋人と共に休暇にはいろいろなところへ旅行するなど、プライベートも充実していた。旅行先の一つにはオレゴン州ポートランドもあった。雄大な自然、温かく開放的な人々。ポートランドのすべてが二人を魅了した。実はエイプリルは保守的なミシガンにうんざりしていた。そんな彼女はあるとき限界に達し、トーマスに「ポートランドに来ないのなら別れましょう」という言葉を残してポートランドへ引っ越してしまった。当時、トーマスは余命わずかな祖母を故郷に残していたが、祖母を看取ったあとエイプリルを追いかけてポートランドへ。しかし、地元ミシガンで働いていたようなテレビマンの仕事は見つからない。たまたま、オールドマーケットパブというブルーパブでブルーアシスタントを募集していたのでいちかばちかやってみることにした。母の手伝いをしていたことでビールづくりに関しては全くの素人というわけではなかったこともあってか2年ほどでヘッドブルワーとなった。そしてその頃結婚。もちろん、相手はエイプリルだ。
エイプリルにとってトーマスは自慢の夫だ。常にクリエイティブであろうとする姿勢はもちろん、実際にクリエイティブであり続けるトーマス。後に新規開業するブルワーのためのコンサルティング会社を作ったほど機械にも詳しいのに、楽器を弾いたりするような芸術的なところもあり、なんにでも興味を抱く多趣味なところもある。(実際、彼女は夫をブルワーというよりはアーティストとしてみているのだろう。思い出しているのかこの話をするときにはうっとりとした表情だったのが印象的だった。)好奇心と向上心の塊のような彼は調査・研究した結果も問われれば共有する心の広さも持っている。
自分を心から信頼するかわいい妻と暮らし、ブルーマスターとして働くことはとても楽しかったが、同時にもどかしさも感じるものでもあった。採算は取れないかもしれないが、良い材料や皆が喜ぶようなアイディアが詰まったビールを造りたい。しかし、ブルーマスターは社長ではない。まれにレシピを任されることはあってもそれは日々訪れてくれる目の前の客のためのものではなく、何かしらの特別なイベントのためのものでしかなかった。ポートランドの住人たちの日常生活に根付く美味しいビールを造りたい。美味しいビールが出来たらすぐに目の前の人たちに提供したい。コストパフォーマンスを重視するのではなく、自分の理想とする材料で納得のいくビールを造りたい。日に日にその想いは膨らみ、いつしか「自分のブルワリーを持ちたい」がトーマスの口癖となっていた。

普段は歯科助手として働いているが、週末にはブルーパブを手伝うというエイプリル

戦後強くなった、と揶揄されるように女性のほうが現実を理想に近づけながら生き抜くたくましさをもっていることが多いものだ。エイプリルとトーマスの場合もそうだった。トーマスの口癖にあきあきしていた彼女は遂に爆発した。「ブルワリーを作るの?作らないの?ただの愚痴ならもう二度と言わないで。本気でやりたいと思うならやればいいじゃない!」それを聞いたトーマスはきっと、「水」という単語を知ったヘレンケラーの”気づき”と同じ衝撃を覚えたに違いない。そこからは速かった。

カルミネーションブルーイングの「お宝」

トーマスとエイプリルの二人は分け隔てなく誰とでも仲良くなれる才能を持っている。特にエイプリルは人を魅了する天才ともいえる。カルミネーションブルーイングのオリジナルTシャツを着ていた彼女に話のきっかけに気なく「シンプルで素敵なTシャツね。」と声を掛けると、100メートル先からでも認識できそうなとびきりの笑顔でこう教えてくれた。「前から見るとシンプルだけど背中には楽器が描いてあるの。だって、彼には音楽の才能もあるからー」トーマスを尊敬している気持ちが瞳からあふれている。つい、意地悪く「頼られていると思う瞬間はないの?」と聞いてみた。靴下が一人で履けないとか家の中に虫がいても怖がって殺せないとかトーマスの弱点を探ろうと思ったのだ。すると、「私たちは補い合っているの。彼のできないことは私ができるし、逆もそう。私たちの凸と凹は完全に一致しているの。」そう答えながらうっとりとトーマスを見つめている。思わず私まで一緒にうっとりとトーマスを眺めてしまった。「人の不幸は蜜の味」なんて誰が言ったのだろうか。エイプリルの幸せは周囲に暖かな愛のシャワーを降らせているようで、ずっとそばにいたい、ずっと話していたいと思わせる魅力がある。そんな人が尊敬し、愛する人が造るビールかぁ、と勧められたビールを飲んでみる。爽やかな酸味が何リットルでも飲めそうなサワーエールは二人の人柄のようにバランスのとれた味わいだった。その場にいた人々がトーマスの造ったビールを追いしそうに飲んでいるのを見ては微笑むエイプリル。そんなエイプリルはトーマスの人生で一番大きな一歩を踏み出させてくれた「お宝」なのだな、と実感できたことが私の中の「お宝」の一つとなった。

写真を撮らせてもらったらすくに抱き寄せるほどの仲の良さだ

アメリカンクラフトビールカルミネーションブルーイング

※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。

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この記事を書いたひと

川端 ジェーン

ビアジャーナリスト

ベルギービールをこよなく愛しています。笑顔でビールを酌み交わせば世界平和は実現すると考えています。ビールが好きすぎてたまに他人と知人の境目がなくなってしまいます。ビールの美味しいお店で見ず知らずの人に話しかけていたら、それは私かもしれません。
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