[テイスティング]2013.10.15

ビールで小説、始めました

ビアジャーナリストアカデミー二期生の川端ジェーンです。

妄想に近い小説を書いてみました。ビールを飲むときのお供にしていただければ幸いです。

第1回は私の大好きなベルギーのビール「ボン・ヴー」がテーマです。

 

 

その昔、ボブカットだった訳ではない。テニス部で強化選手にも選ばれたこともある筋肉質な体つきに誰かが「ボブスレーの選手?」と聞いたことからついたあだ名だ。いわゆるサバサバ系の見本のような性格は髪を伸ばしたところで隠せる訳でもない。もう30歳にもなろうという年下の恋人ですら頼ってくる「ボブ」は心の中に常に何かしらの焦りを抱えていた。このままでいいのか。このままでしか、いられないのか…。

年下の恋人はボブに対する安心感からだろうか、3~4杯飲むと目がトロンとなり、時おり舟をこいでしまう。確かにベルギービールにはアルコール度数の高いものが多い。でも、デートというのに近況を報告し合っては寝るだけ、というのはあんまりでは? 端数分だけ多く彼が支払うという割り勘スタイルも大事にされていないようで気になる。私のほうが年上だし、体の良い暇つぶしなのでは? 少し距離を置いてみた方がいいかも…?

思えば付き合って7年。お互いの交友関係も親戚関係もほとんど把握している。双方の親も結婚は時間の問題だと思っているようだが、そんな意識からかけ離れたところにこの人はいるのではないか? 長女だから、しっかりしているから、と放っておかれることには慣れているが、やはりそれが寂しいときもある。人の気も知らないで、と恋人の寝顔を見ながら深いため息。

「トリカイさぁん…」と呟くようになじみの店員に助けを求めてみる。トリカイさんはそんなボブに「でも、彼がこうやって潰れるのはボブちゃんと来ている時だけだよ。安心して潰れられる、心を許せる存在なんだね」とへたくそなウィンクと共に答えた。そりゃあそうだ、誰と来てもこうなら単なる飲み方を知らないバカ男だよ、と心の中で毒づきながらボブは恋人を起こしにかかった。「ほら、そろそろ帰るよ。明後日の資料が出来たからって安心しないの」お母さんに起こされてぐずぐずしている小学生のような恋人を急き立てるようにして帰り支度をさせる。今日もこれでデートはおしまいか、とため息をまたひとつ、ついた。今度は金曜日の晩にねぇ、とまだ夢見心地の恋人はそんなボブの背中に声をかけて帰っていった。

そして、金曜日。ボブが来てみるといつものカウンターではなく、テーブル席に通された。しかも、遅刻5分は誤差の範囲、と常にボブを待たせる名人の恋人は既に来ている。思わず時計を確認して聞いた。「時間、間違えていたかな?」 こっそりしていた善行がみつかったいたずらっ子のように所在無げな雰囲気を醸し出しながら大丈夫、と答える恋人。

「じゃ、前菜から」メニューも見ていないというのにビールも料理も出てきた。既に注文していたらしい。相談して決めるのだって楽しいのに。それに、その日の気分っていうものがあるでしょうよ。口には出さなかったが、不満は爆発寸前だった。いつも「どうしてこのビールを飲んでいるのにこれなの?」という不可思議なメニューを言いだしてはボブに却下されているというのに、今日のチョイスは完璧だった。店に着くまでに「今日はトマトとかエビが食べたいな」と考えていたボブの目の前にトマト・オ・クルベット(トマトと小エビのサラダ)が出てくるといった具合だ。うっとりと運ばれてくる料理を堪能しているうちにビールもなくなりかけていた。「次、何飲もっか?」と恋人に聞いた。

恋人の顔がぱぁっと明るい笑顔になった。「ねぇ、そんな聞き方、嬉しいなぁ。何か頼られている感じがする。ボン・ヴーはどうかな?」一息にそこまで言ってまっすぐに目を見てくる恋人。こくりとうなずいてからふと考えた。そういえばいつも「どうする?」の後に「~でいい?」という聞き方しかしていなかったかも。彼が頼りないんじゃなくて、私が頼られることに慣れ過ぎてそんな気分のままで接してきたのかもしれない。それにしても、こんなことぐらいでそんなに嬉しそうに…。「ボン・ヴーって本当にスパイシーで華やかで美味しいんですよね」トリカイさんがそう言いながらボン・ヴーを運んできたのはそんなタイミングだった。

いつもは恋人が寝てしまうことが多いので、彼にはアルコール度数が低めのもの、自分は飲みたいものを注文する、という選び方をしていたので二人で大瓶をシェアするのは久しぶりだった。「そういえば、昔はよくこうやって同じビールをシェアしたよね」二人で小さく乾杯のポーズをとり、ボン・ヴーを飲み始めた。「アルコール度数も高いけどね」と恋人。「この度数だからこそのこの味じゃないの? 甘味もあって、苦味もある。しかも酸味も感じられて。アナタは知らないかもしれないけど、その昔いた彦摩呂とかいうタレントなら『味の宝石箱やぁ~。』っていうところよね」明るめの金色をした液体はグラスの中で細やかな泡を出しながらフルーティーな香りを放っている。少しグラスが揺れるとホップの刺激も鼻をくすぐり、二人を心地よく包む。会話とボン・ヴーのペアリングをそんな風に楽しんでいた時だった。「ねぇ、知ってる? このフランス語の意味」とラベルを指して聞いてきた。当たり前でしょ、と言うかわりにボブは答えた。「デュポン醸造所より幸福とともに、でしょ」いまさら何を言い出しているんだか。やっぱりこいつは…。こいつは? 思わずハッとしてボブは恋人の目を見た。

少し緊張した面持ちで小箱をポケットから出す恋人。「うん。前にボン・ヴーみたいな縁起のよさそうなビールを飲みながらプロポーズされたい、って言ってたよね? これからは自宅でもこうして大瓶をシェアして暮らそう」そういうと恋人はさっと小箱を渡したあと、照れ隠しなのかトイレに立ってしまった。トリカイさんがその隙に教えてくれた。結婚式のお金を貯めるためにかなり頑張って働いていたらしいこと。おかげで前から希望する部署に移動が決まったこと。それからずっと、ビールや料理のチョイスをトリカイさんに相談していたこと。ボブがどんなときにどんなメニューを好むのかを知るために不可思議な注文をし続けていたこと…。自然に頬が緩んでくる。と、同時に彼を信じることをせずに一人で悶々としていたことを悔やんだ。

彼が戻ってきたらちょっとは殊勝にお願いします、と頭でもさげてみようかな。ボブはそう考えながら、くいっとグラスのボン・ヴーを飲みほした。

ベルギービールボン・ヴー小説

※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。

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この記事を書いたひと

川端 ジェーン

ビアジャーナリスト

ベルギービールをこよなく愛しています。笑顔でビールを酌み交わせば世界平和は実現すると考えています。ビールが好きすぎてたまに他人と知人の境目がなくなってしまいます。ビールの美味しいお店で見ず知らずの人に話しかけていたら、それは私かもしれません。
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