シンガポール発:現地で活躍する日本人ビアパブオーナーに聞いたクラフトビール事情
2025年の1月に、シンガポールを訪れる機会があり、事前に現地のクラフトビール事情について調べていると、日本出身で現地でクラフトビール専門のパブを運営されている広瀬さんという方にたどり着いた。広瀬さんは、長らくシンガポールの飲食業・クラフトビール業界に携わったのち、2018年にSG Tapsというクラフトビアパブを開業し、現地のブルワリーで醸造されたビールを中心に提供している。シンガポールにおけるクラフトビールの黎明期から現在までに至るまでの動向について精通しているとのことなので、直接会って話を伺ってきた。

SG Tapsの店舗前に立つオーナーの広瀬さん
目次
2つのブルワリーの出現がシンガポールのクラフトビール業界を一気に変えた
筆者:初めまして。今回取材を受けていただいてありがとうございます。2018年にSG Tapsをオープンされていますが、オープン当初から現在(2025年1月)に至るまでシンガポールでのクラフトビール、現地のブルワリー動向について教えていただけますか?
広瀬さん:SG Tapsで現在あるブルワリーをまとめたものがこちらです。古いものから新しい順に並べています。

SG Tapsがまとめたシンガポールのブルワリー一覧
(上記写真の右ページ上段の)「タイガー(Tiger)」、「アンカー(Anchor)」、「アーキぺラゴ(Archipelago)」の3つは第二次大戦前からある地元のラガーを作っていた古い醸造所です(※アーキぺラゴは2024年6月に閉鎖)。1997年に作られた「ブリューワークズ(Brewerkz)」が実質的に最初のシンガポールでのクラフトビールです。ほぼ日本の法律改定後のクラフトビールの時期に近いのでシンガポールのクラフトビールの歴史も古いと言えます。1997年以降のクラフトビールですが、味はそこそこ、クラフトビールがあれば観光の売りになる、不味くはないけど、特別美味しくはない、というような状況がしばらく続いていました。しかし、2016年に「ライ&パイント(Rye & Pint Brewery)」と「ブリューランダー(Brewlander)」の二つが出現したことによって、他国のクラフトビールと比べても遜色のないようなビールが作られ始め、シンガポールのクラフトビールシーンが一気に変わり始めました。
その当時の私は、オーチャードロード(シンガポールの商業中心地の通り)にある日本のクラフトビールを売る「地ビール(Jibiru)」というお店で働いていました。上記の二つのブルワリーができたころから、シンガポールのビールも面白くなってきたのでこの辺りで独立したいなと思い始めました。その後準備期間を経て、2018年にSG Tapsをオープンさせました。
その後、ブルワリーの数は増えて行き、廃業したものを含めて50社、このリストの中には廃業が決まっているところもあるため実質的にトータル30社行かない程度になります。最近では、「ピンクブロッサム(Pink Blossom)」、「アライブ(Alive)」、「サンバード(Sunbird)」、この辺が、世界的にみても美味しいんじゃないかなというビールを作っています。まだまだ、シンガポールのクラフトビールのクオリティの安定は課題ではありますが、国内のビールだけでもお店が賄える程度、種類が揃いはじめています。

SG Tapsの店内のタップ一覧
若者達は自身の儲けよりもクラフトビール業界全体を盛り上げようとしている
筆者:2016年以降、ブルワリーが増えてきた要因や、シンガポールならではの事情があれば教えてください。
広瀬さん:シンガポールは、ご存知の通り狭い国土(東京23区とほぼ同じ広さ)ですが、シンガポール人は世界中に情報網を張っていて新しいものに飛びつくのが早い。クラフトビールは、日本酒・ワイン・ウィスキーのような伝統の世界ではなく、シンガポールでも短期間にできるということでブルワリーが増えたのだと思います。また、シンガポール特有の問題として、単純にコストがかかります。土地代、人件費、水も高く、モルトやホップの業者も少ないため、ビールの材料は個人輸入になってしまい、原価が必然的に高くなります。結果的に、シンガポールのクラフトビールは、アメリカから輸入したビールよりも高いです。
その一方で、香港や他国でも同様かもしれませんが、シンガポールのクラフトビール業界は若い人たちが中心になっています。若い経営者やブルワーが積極的に情報を共有していて(レシピや道具、効果的なマーケティング等)、業界全体を盛り上げようとしています。自分だけ儲けようという感じがなく、切磋琢磨しながらマーケット全体を持ち上げて儲けようとしているので、意外と皆さん、大局をみているなとという感じがしています。
また、昨年できた「レインフォレスト(Rainforest)」は、アジアトップレベルの大学、南洋理工大学の出身者が設立したブリワリーです。数多ある将来のキャリアではなく、若者がリスクをとってビールを作るという夢を追いかけたい、というのは最近のシンガポールの風潮かもしれません。私はシンガポールに来てから25年になりますが、以前と違ってここ10年くらいは景気も停滞していると言われています。若い人たちが、親からもらったお金を当てにせず、自分たちで自分の道を切り拓こうと、手に職をつけようと思い始めているのではないかと思います。ちなみに、南洋理工大学の中ににビール部というのがあって、バイオ工学を学ぶ学生たちが学んだ技術をビールに転化して学内で作ったビールのコンテストを行っていて、私も審査員で参加させてもらっています。
最後に、シンガポールらしいというところで、シンガポール人はパッションで新しいことを始めるのですが、最終的にお金がついてこない場合は、切り替えが早く、すぐにやめてしまいます。これはお国柄なのだと思います。結局のところ、ビジネスであるので赤字続きでも頑張ろうという気持ちは無く、クラフトビールをやっていた人が、極端な話、薬の輸入を始めるということもこの国では驚くことではないと思います。

シンガポールの食文化の中心であるホーカー(写真はマックスウェルホーカーセンター)
英国統治により既にビールの多様化が根付いていた
筆者:消費者目線でのシンガポールでのビールについてはどう見られていますか?
広瀬さん:シンガポールのビール消費のうち、クラフトビールの割合が3%を超えていると言われています。元々、英国の支配下で、スタウト等のビールを飲む文化が根付いていたので屋台が集まるホーカーに行っても、ビールはラガーだけではなく、ウィート、スタウト、デュンケル等が既に揃っていました。ラガー以外のビールも戦前から飲まれていたので、もともとビールの多様性が根付いていたのだと思います。また、バーでビールを飲むと、大手のビールでも一杯2000円くらいするので、クラフトビールとの価格差があまりありません。シンガポール人は、クラフトビールを外で飲む場合、一杯1500円から3000円だと思っています。昔からビールやタバコなど嗜好品は高いものだという認識がされているのも理由だと思います。

SG Taps周辺のDuxton Hillの街並み
次は日本のクラフトビールをシンガポールで紹介していきたい
筆者:日本人としてシンガポールでクラフトビールパブを作ったきっかけを教えてください。
広瀬さん:シンガポールに来る前は、日本でも飲食業で働いていて、知り合いにシンガポールで働かないかと誘われました。当時は1年くらい気軽に働いて日本に帰ろうというくらいに考えてました。しかし、実際にシンガポールに来てから、その多様性や、アジアの食事も好きで、2年、3年と過ごしていくうちに永住権を申請することになりました(当時は、現在よりも容易に取得できた)。その後、日本のクラフトビールを販売するお店から誘われて、15年ほど日本の良いものをシンガポールで売ってましたが、シンガポールの生活も長くなったこともあり、徐々に飽きてきて、今度はシンガポールの良いものを世界に対して売りたくなってきました。そんなタイミングで、前述の「ライ&パイント(Rye & Pint Brewery)」と「ブリューランダー(Brewlander)」が出てきたころで、シンガポールのクラフトビールを中心に取り揃えるSG Tapsを開業しようと思い立ちました。当初は、6タップで始めたのですが、幸運にもお店の開始以降、新たなブルワリーが増えて行き、現在21タップをシンガポールのクラフトビールで埋まるくらいになっています。

人気の現地ブルワリー、ピンクブロッサムのIPA
筆者:今後、何か新たな試みなど考えていますか?
広瀬さん:新しいことではないのですが、現在のお店を開いてからの年月的にも、そろそろ、2軒目を考えています。最近、日本のクラフトビールを海外に進出させたいという話もたくさんいただいています。しかし、私自身は輸入業社ではないので輸出入の協力はできませんが、お店でポップアップで試験的なことはできると思います。新しい店舗では、そのようなスペースを構えたお店にしてみたいです。自分が日本人であることを生かして、日本のビールをシンガポールで売るというのは他店舗に無い売りでもあるし意味があると思います。シンガポール人は、親日派が多く、日本のビールを入れると結構ウケると思います。現在のお店はシンガポールのクラフトビール中心のお店にしていますが、次の店舗では、日本のビールを紹介し、テストできるお店にしたいと思っています。
今回は、突然の訪問取材を快諾していただき、広瀬さんに貴重な話を伺うことができ感謝したい。SG Tapsを通じて現地のクラフトビールを支える広瀬さんのビールに対する情熱は会話の端々に感じられた。また、現在構想中の2店舗目がどのような展開になるか楽しみだ。次回シンガポールを訪れる際には必ず立ち寄りたい。
訪問した店舗情報
SG Taps
住所:13 Duxton Hill, #01-01, Singapore, 089597
地図 & 行き方:MRT(地下鉄)トムソンイーストコーストライン(茶色)マックスウェル駅から徒歩5分
電話:+65 6904 8474
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※2025年1月中旬に訪問
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。