[コラム]2023.1.15

Beer&Life Style Fashion編 ビールとスキーウェアのペアリング

ビールのペアリングはフードだけではない。

どんな装い=ファッションで、どんなビールを飲むか……。
それが「ビールとファッションのペアリング」だ。

IVY、渋カジなんてのが青春だった世代には懐かしく、若い世代には新発見になる連載企画。
第8回目は【ビールとスキーウェア】のペアリングだ。

【1月下旬】スキーウェアとノンアルコールビール

今回は興味のない方にはまったく刺さらないテーマである。
が、この時期にぜひとも触れておきたい話なのでお許しいただきたい。

スキーは私のフェイバリットスポーツで、思い入れが強いジャンルなのでいささか長文でもある。お付き合いいただければ幸いだ。

スキー・バブル期「私をスキーに連れてって」

1987年に公開された映画「私をスキーに連れてって」は、日本にスキーブームを巻き起こした。

1986年の12月から始まったと言われる「バブル景気」の追い風もあり、スキー場はスキーヤーで溢れ、リフト2時間待ちなどということも珍しいことではなかった。

ピーク時のスキー人口は1,860万人を上回り、ゲレンデはガンダムのようなイカリ肩の派手なウェアの男性と白のワンピースを着た女性スキーヤーでごった返していた。

私をスキーに連れてって

ゲレンデではリフト待ち、帰りの高速道路は渋滞。滑る時間より”待つ時間”が長かった。

オールドファッションスキーヤー

スキーファッションを語るために、まずは日本のスキー史から振り返ってみたい。

日本で初めてスキーをしたのは誰か?

江戸時代の旅行家菅江真澄、探検家間宮林蔵など様々な説があるのだが、本格的にスキーが行われたのは、1911年(明治44年)にレルヒ少佐というオーストリア人が新潟県の高田で歩兵隊にスキー指導をしたのが始まりという説に軍配が上がっている。

当時の写真を見ると、ウェアは軍服で筒のような帽子まで被っていて、ストックは両手ではなく長い1本の竹竿だった。

世界に目を向けると、ヨーロッパでレジャーとしての(軍事目的ではない)スキー人気が高まり、ウェアは「伊達男のフォーマル系」「競技者用のスポーツウェア系」の2パターンがあった。

フォーマル系はそのままオフィスに出かけられそうな装い、スポーツウェア系は防水加工されたジャケットやセーターにストレッチパンツというスタイルだった。

エスクァイアのイラスト

機能よりもお洒落優先のスキーファッション。

イギリスチーム

オリンピックチームは機能優先のファッション。

1923年(大正12年)には第1回全日本スキー選手権大会が北海道小樽で行われ、1928年には初の冬季五輪への参加。第二次世界大戦で中断されるも、1956年には猪谷千春がコルチナ・ダンペッツオ五輪で銀メダルを獲得し再び注目を浴びることとなる。

1961年にはスキー人口が100万人を超え、1966年には加山雄三主演の映画「アルプスの若大将」が上映され、1972年の札幌五輪でさらに人気が高まった。

日本の場合、黎明期は「男子は軍服、女子は着物に袴」だったと伝えられており、その後、「競技用スポーツウェア」が「ゲレンデでスキーをレジャーとして楽しむためのウェア」へと進化していった。(伊達男のフォーマル系は定着しなかった)

基礎スキーvsホットドッグスキーヤー

1970年代、スキーは『貴族趣味』と揶揄されることはなくなった。
中学高校のスキー合宿やスキー修学旅行、深夜バスを利用した格安ツアーもあらわれ一般的な娯楽になった。

日本では”長い距離を一気に滑りきるコースを作りづらい”というゲレンデ事情から、競技スキーが広まらなかったなか、幅を利かせ出したのが「スキー検定」である。

公益財団法人全日本スキー連盟(SAJ)が認定試験を行い、スキー技術を1〜5級にわけてジャッジするというものだ。(1級の上には公認準指導員と指導員いう資格試験と現在はテクニカルとクラウンというプライズテストもある)

スキーを「速い遅い」ではなく「上手い下手」という独特の価値観にすり替え、ヒエラルキーを作って優越感をくすぐる商法は、日本人の「道を極める勤勉さ」にもマッチし【基礎スキー】とも呼ばれ普及していった。

日本中のスキー場にスクールが設けられ、何度も講習に通い、教本に書かれた理想の滑りに近づくために地道に滑ることを繰り返した。
数ターンしては止まって振り返り、シュプールを眺めて反省するという姿はイデアを追い求める哲学者のようであった。

基礎スキー派

細部にこだわるあまり、木を見て森を見ずのスキーヤーも多かった?

こんな【基礎スキー】や競技スキーに堅苦しさを感じていたスキーヤー達が生み出したのが【ホットドッグスキー】である。

1952年のオスロ五輪の金メダリスト、スタイン・エリクセンや1960年のスコーバレー五輪の金メダリストであるロジャー・スターブがプロに転向し、スキーレッスンのかたわら空中回転などを披露していた。

このアクロバティックな滑りをスキー雑誌「SKIING」の編集長タック・ファイアーが【ホットドッグスキー】と名付けて紹介し、世界的なムーブメントとなり、ジョン・イーブス、グレッグ・アザンス、スコット・ブルックスバンク、ジャック・テイラー、スージー・チャフィー、ゲニア・フラー、ウェイン・ウォンといったスターが生まれた。

しっかりとしたテクニックをベースに、それ以前の価値観とは違った自由な世界観を創り上げていく姿は、時代的にも【クラフトビール】の誕生と似ていると感じる。

日本では1977年に白馬乗鞍国際スキー場で第1回全国フリースタイルスキーコンテストが開かれ、モーグル、バレー(のちのアクロ)、エアリアルといった競技が行われた。

ちなみに私は1982年の第7回栂池カップ争奪フリースタイル選手権大会のモーグルとバレーに出場したことがある。(エントリー料を払えば、予選もなく誰でも出場できた)

成績は……聞かないでほしいのだが、とりあえず完走できて、最下位ではなかったことが小さな自慢である。
スポーツDJのマーキー谷口がノリノリで会場を盛り上げたファンキーで楽しい大会だった。

ホットドッグ派

時代も気質もアメリカの「クラフトビール創世記」と重なっていた。

モーグルスキーヤー

ホットドッグスキーは次第に競技化し、【フリースタイルスキー】と名称を変え、1979年にワールドカップ開催、1988年のカルガリー五輪で公開種目となり、1992年のアルベールビル五輪で正式種目となった。

日本では1998年の長野五輪で里谷多英が金メダルを獲得し、一躍人気の種目となった。
里谷多英は1994年のリレハンメル五輪から2010年のバンクーバー五輪まで5大会連続で決勝に進出し、長野五輪の金とソルトレイク五輪の銅と2つのメダルを獲得している。

冬季五輪でこれほどまでの成績を残したアスリートは、男女問わず他にいるだろうか?
レジェンドと呼ぶにふさわしい存在である。

モーグラー

両脚が離れていないことをジャッジにアピールするよう、膝が目立つブカブカのパンツを履いていた。

生きた化石? シルバースキーヤー

今、スキーヤーの多くはシルバー世代だ。
ゲレ食でヘルメットを脱げば、ハゲか白髪である。
1980年代から滑り続けてきた猛者達だ。

生きた化石と言われるシーラカンスのような存在である。
彼らの共通点は、男女ともに技術的にハイレベル。
スキー命の「ガチ」な連中なのだ。
キレキレのカービングターンでゲレンデを試走している。

平日にシニア割りの1日券で滑りまくる。

スキーも多様化の時代

シルバー世代ではないスキーヤーの好みは多様化している。
以前のように主流派というものがいなくなった。

まずはバックカントリー派。
昔で言うならば「山スキー」と呼ばれる山岳部系の人達だ。

幅の広い浮力のあるスキー、登りはかかとが上がり、滑り降りる時はかかとが固定されるビンディングなどギアが良くなったので、昔のような苦行ではなくなった。
オフピステの深雪を滑る快感に取り憑かれたスキーヤー達である。

他にも、ゲレンデの隅にできたバンクや凹凸の地形に跳び込んでいく「フリーライド」派やオリンピックでも採用された「スロープスタイル」「ハーフパイプ」「スキークロス」といった競技に進むスキーヤーもいる。

雪崩に巻き込まれる危険もあるため、救出用のシャベル、ビーコン、ゾンデ棒などの入ったザックを背負っている。

スキー熱再燃?「もう一度、私をスキーに連れてって」

たしかに、スキーというスポーツは大変だ。
準備が大変、移動が大変、ブーツを履くのが大変、スキーを持って歩くのが大変、リフトに乗るのも降りるのも大変。そのうえ滑るのが大変で、転べば起き上がるのがさらに大変である。

しかし、その大変さに勝る開放感と疾走感がある。実に爽快だ。
30数年前に「私をスキーに連れてって」にハマった皆さんもハマっていない皆さんも、そんな映画なんか知らないよぉという世代の皆さんも、是非スキー場に出かけてほしい。

合言葉は「もう一度、私をスキーに連れてって」!!
白銀はあなたを持っている。

飲んだら滑るな。滑るなら飲むな。スキーウェアとノンアルコールビール

私は、スキーをする時にお酒は飲まないことにしている。
若い頃は、ゲレ食でビールをグビグビ飲んで午後にまた滑るというようなことをしていたが、今は飲まない。

スキーはレジャーであるが、危険なスポーツでもある。
飲酒滑降は危ない。
そしてなによりも、つまらないのである。
飲むと滑りが緩くなって、つまらないのだ。
滑るからには真剣に滑りたい。

また、最近は独りで車を運転して出かける日帰りソロ・スキーヤーなので飲むと飲酒運転にもなってしまう。

そんなわけで、ノンアルコール・ビールの出番である。
ノンアルコールビールの味わいは日に日に進化している。
もはや、我慢して飲むものではなく、好んで飲むものになってきた。

スキーに限らず、【自分自身がスポーツをする時】は【ノンアルコールビール】をペアリングしたい。

ネオブュル醸造所

1895年、ベルギーのオーベルで創業。4万平米の敷地に醸造所と自社農園を持つ。
低温低圧蒸溜で脱アルコールを行うことでビールの風味を逃すことなくノンアルコールビールを造ることに成功した。
ベルギー大使館推奨の飲料メーカーでもある。

ビア・デザミー

ボトルに直接プリントされた「ミリタリー調のステンシル書体」が目を引く。ずんぐりとしたボトルも可愛い。

銘柄:ビア・デザミー0.0
ビアスタイル:ノンアルコールビール
醸造所:ネオブュル醸造所
アルコール度数:0%

藤原ヒロユキ テイスティングレポート

フルーティーな味わいの中に酸味も感じ、ベルジャンスタイル・ホワイトエールのようなキャラクターを探し出せる。オレンジピール由来の柑橘系フレーバーも爽やかで心地よい。

シーフードやチキンを使ったサラダ、ピザやフライドポテトに合う。
ゲレ食メシの定番、カレー、ラーメン、とん汁とも相性が良く、フルーツタルトやアップルパイなどスイーツとのペアリングも抜群だ。
全国各地、すべてのゲレンデ食堂のメニューに定番化してほしい逸品である。

<おまけ>理想のスキーウェアを探して

私は、20年近く同じスキーウエアを着ている。
ジャケットはコロンビアのダブル・ワーミー。
パンツはノースウエストである。
どちらかと言えば、スキーウェアというよりも登山用のウェアに近い。

なにもケチくさくて着続けているわけではない。
今のウェアを超えるものが無いのである。
かなりくたびれてきているので「同じものを買いたい!」と思っているのだが、同じものはおろか似たものすら無いのだ。

理想のウェア

このイラストと今の私のジャケットの違いは「インナーのパウダーガードと袖口のサムホールが無い」「黒いインナージャケットが付いた3WAY」ということ。パンツは「ベルトループが無い」こと以外はこのイラスト通り。

どなたか、コロンビアのダブルワーミーの最新版をご存じないだろうか?
もしくはそれに匹敵する物を。

パンツはイラストのものとほぼ同じ物が欲しい。サロペットで、サイドはジッパーでフルオープンで、おしりが開くタイプが良い。

では、また季節が変わる頃に、、、

*第1回【ビールとボーダーシャツ】は、こちらで。
*第2回【ビールとベスト】は、こちらで。
*第3回【ビールとジャンパー】はこちらで。
*第4回【ビールとセーター】その1はこちらで。
*第5回【ビールとセーター】その2はこちらで。
*第6回【ビールとマウンテンパーカー】はこちらで。
*第7回【ビールとツイードジャケット】はこちらで。

Beer&Life Styleスキーウェアネオブュル醸造所ノンアルコールビールビア・デザミーファッションペアリング藤原 ヒロユキ
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※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。

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この記事を書いたひと

藤原 ヒロユキ

ビール評論家・イラストレーター

ビアジャーナリスト・ビール評論家・イラストレーター

1958年、大阪生まれ。大阪教育大学卒業後、中学教員を経てフリーのイラストレーターに。ビールを中心とした食文化に造詣が深く、一般社団法人日本ビアジャーナリスト協会代表として各種メディアで活躍中。ビールに関する各種資格を取得、国際ビアジャッジとしてワールドビアカップ、グレートアメリカンビアフェスティバル、チェコ・ターボルビアフェスなどの審査員も務める。ビアジャーナリストアカデミー学長。著書「知識ゼロからのビール入門」(幻冬舎刊)は台湾でも翻訳・出版されたベストセラー。近著「BEER HAND BOOK」(ステレオサウンド刊)、「ビールはゆっくり飲みなさい」(日経出版社)が大好評発売中。

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