【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗 96~老舗酒蔵の次男、麹で覚醒する 其ノ拾伍
ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。
※作中で出来上がるビールは、現在醸造中!物語完結時に販売する予定です
前回のお話はこちら
第一話はこちら
温度がわかれば話は早かった。「手抜き」温度になった湯に麦芽を入れ、コトコトと煮ていく。
火の調整、そして温度管理は喜兵寿が、そして攪拌はつるが行い、直は鍋の中の様子を注意深く見守っていた。狭い台所には麦芽の懐かしい香りが広がり、直は思わず目を細める。
もとの世界では、毎日このにおいの中にいた。あいつら元気でやっているかな?醸造所で問題は起きていないかな?ほんの少しだけ寂しさが込み上げてきたものの、すぐに外からの大声でかき消される。
「なんだか変わったにおいがするじゃねえか!もうびいる造りははじまったのか?!」
どしどしと足音を立てて幸民が入ってくる。手にはひょうたん徳利を持っており、絶好調に酔っぱらい&虎モードだった。
「一口飲ませてみろよ。あ、絶対に小西だけには飲ませるなよ。絶対にだからな」
幸民の後ろからは「やれやれ」といった様子の小西。でもその表情は堺で出会った時よりも、なんだか楽しそうに見えた。
糖化が完了したら、温度をあげて酵素の働きを止める。そうして出来上がったものをろ過すれば、麦汁の完成だ。
濾過布で濾した液体を、直は湯飲みに分けた。少し暗い、黄土色。湯のみの中に入っているので正確な色はわからないが、いつも造っていたものに似たものができたはずだ。
「これがびいるの基になるものか」
喜兵寿は目をキラキラと輝かせ、湯のみをのぞき込む。つるも「わたしの作った麦芽……」と嬉しそうに立ち上る湯気を吸いこんでいる。
「では。いただきます」
5人は視線を合わせると、一斉に湯のみに口をつけた。
本来麦汁とは甘い液体だ。麦のジュースとも言われる程、ずっしりとした甘みを持つ。しかし口に含んだ液体は、いやな渋みが前面にあった。
「?!」
直は慌てて湯のみを傾ける。すると先ほどはわからなかった混濁が目に飛び込んでくる。
「ろ過に失敗した……のか?!それとも糖化自体がうまくいかなかったのか?」
なんにせよ、口にした液体は直が知っている麦汁とはほど遠いものだった。
「うん……まあ、こんな味?なのか?」
「びいるとは本当にうまいのか?こんなものから酒が出来るとは到底思えんのだが」
「……渋柿のほうがマシかもしれんな」
直以外の4人も苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「申し訳ない!これ失敗だ。もう一回やってみよう」
直は再び鍋に水を張った。最初からうまくいくはずがないのだ。使っている道具も、温度管理も、麦芽のつくりかただっていつもと違う。失敗して当たり前というものだ。
しかし何度やっても結果は同じだった。いままで出たことのない「渋み」が麦汁の中を占拠してくるのだ。
―続く
※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
協力:ORYZAE BREWING
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。