【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗 167~麦酒は黙して育ち、黒船は町を睨む 其ノ漆
ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。

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湯に浸かって、きれいな着物を着る。それだけで生まれ変わったような気持だった。腕をすり抜けていく風の軽やかさに、思わず目を閉じる。
蔵に戻ると、たくさんの皿から湯気が立ち上っていた。座敷に腰掛けると、わらわらと皆が集まって来る。
「喜兵寿。待ってた!さぁ、飲もうぜ」
「ねぇ、おにいちゃんいままで牢座敷にいたんだよ?いきなりお酒なんて飲んで大丈夫なの?まずは甘酒とかのほうがよくない?!」
直とつるの掛け合いはいつもどおりで、知らず知らずのうちに口元が緩む。
「ありがとう。酒をいただく」
差し出された徳利を受け取ると、なつかしい匂いが鼻を突いた。
「……これは、柳やの酒か?それも火入れしていない生酒?!」
喜兵寿は目を丸くすると、少量を口にし「やっぱり……」と呟いた。
「どうしてこの酒がここにある?」
「だから言っただろ~!いろいろあったってさ」
直は皆と目を合わせ「こっちもいろいろ大変だったんだぜ」とおちょこを持ち上げた。
「まずは乾杯しようぜ。喜兵寿の話も聞かせてくれよ。牢獄の中なんてこれから先見ることないだろうしな!」
喜兵寿が捕まった日から今日まで、それぞれの場所で何が起きていたのか。直たちの話は衝撃的だった。まさか自分のいないところで源にいを説得していたとは……びいるの発酵が始まったと聞いた時は、鼻の奥がつんと痛くなった。
覗き込んだ半切り桶の中は、白く濁っていた。泡が崩れた後のような粕が、島のように浮かんでいる。奥の方からは、時折、思い出したかのように、ぷつり、と小さな息吹が湧き上がった。甘酒のやわらかな甘さは消え、代わりに、若い酒の匂い――つんと青い、アルコールの香りが立ちのぼる。この数日間の激動が、その一桶にそっくり閉じ込められているようだった。
「それにしても、お偉いさんが疑ってきたときはビビったよな~!瑞光寺で騒ぎが起きてなきゃやばかった」
笑いながら話す直の言葉を聞きながら、喜兵寿はぶるりと震えた。そうだ、あの時正体がバレていたら、自分だけではなく、直や小西様も処刑されていたかもしれない。そこから追及され、この蔵に関わっていたもの全員が捕らえられていた可能性もあったのだ……
「ふふふ、それわたしのお手柄」
金ちゃんが自慢げに手を挙げた。
「瑞光寺の住職にお金握らせたら、一発だったわよ~♡だいぶ不満が溜まっていたみたい」
「その策を出したのはワシだがな」
酒で饒舌になった幸民が割って入る。
「偽造文書をいくら完璧につくったところで、何が起こるかわからんからな。頭のいい人間は先の先まで考えとくもんだ。状況を見れば、あの寺を巻き込むのが一番いいってことは一目でわかった」
小西に向かい、「感謝しろよ」と胸を張る。
「浦賀の民にとっても、いい発散になっただろ。あんな狭い場所に閉じ込められちゃ溜まったもんじゃない。思う存分暴れたらいいさ。その分、こちらへの目も向かなくなる」
幸民は酒を煽ると、声のトーンを落とした。
「しかし騒ぎは明日には収まるだろう。明日は喜兵寿の本来の処刑失効日。役人たちが状況を確認しにくる可能性は十分にある。その前にはここを立ったほうがいいだろうな」
喜兵寿は脱獄した身。改めて今後どうしていくのか、考えねばならない。自分は何の罪も犯していないが、自分のせいで仲間に迷惑をかけることだけは絶対に避けたい。でも……喜兵寿は喉から湧き上がってくる言葉を、ぐっと飲み込んだ。
びいるを造りたかった。ここから最後まで、きちんと見届けたかった。でもそれはこの蔵にとどまることを意味してしまう。自分は一体ここからどうしたらいいのか……
喜兵寿が黙り込んでいると、直があっけらかんと言った。
「したら、浦賀に行くか」
なぜ浦賀に?わけがわからず固まっていると、直は自信満々に続けた。
「ビールは浦賀で必要なんだろ。持ってぎゃふんと言わせてやろうぜ!」
「いや、そんなこと言ったって、まだ完成してないだろ」
「まだ、な!」
直はにんまりと笑うと言った。
「一次発酵は終わった。ここからは瓶内二次発酵だ」
※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
協力:ORYZAE BREWING
作中で完成する「江戸ビール」、現在発売中です。小説を、物語のエンドロールを飲む、という体験
限定醸造「タイムスリップビール」
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。









