【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗 161~麦酒は黙して育ち、黒船は町を睨む 其ノ壱
ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。
※作中で出来上がるビールは、完成間近!物語完結時に販売する予定です

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発酵がはじまったちょうどその頃。浦賀湾にも変化が起こっていた。
浦賀湾は地形に恵まれ、穏やかな湾だ。だがその日、海は荒れていなかったにもかかわらず、人々の心はざわついていた。
夜明けの海。日の出とともに、浦賀の町に向かって並ぶ七隻の黒船が、黒々とその姿を現した。
昨日までも黒船はいた。
だが今日は違った。砲門は開かれ、甲板には人影が揃い、船はまっすぐ町へと向けられている。それは、理屈を知らぬ者の目にも、「何かが始まる」と分かる光景だった。
人々は浦賀湾を挟むように対になる、二つの神社へと身を寄せた。西に住む者は、西叶神社に。東に住む者は、東叶神社に。境内に集まり、誰からともなく手を合わせる。だが祈りの声は揃わず、囁きは次第に噂へと変わっていった。
「あんなでかい船が、何もしないわけがないと!ワシはずっと思ってたんだ」
「奴らの目的は、この国を支配することだと聞いた」
「下の町では、もう遠くの国へと避難するように指示がでているらしい」
東神社の境内裏。山へと続く階段を上れば、浦賀湾が一望できる。もうもうと煙を上げる、大きな黒い戦艦、そしてその先にあるぼろの小舟や、吹けば飛ぶような家々。
「こんな時に、お上は何をしているんだ。なぜ誰も守ってくれない」
東の住人は、その光景を見ながら歯ぎしりをした。ぶるぶると身体が震えるのは、恐怖からか、怒りからか。
誰が言い始めたかは分からない。だが、いつの間にか皆が同じ言葉を口にしていた。
「下の町へ逃げよう」と。
そして翌日。黒船はまたもや動きを見せた。
その日はどんよりとした曇り。今にも雨が降り出しそうな中、7隻の黒船から、20以上の小舟が岸に向かってやってきたのだ。小舟と言っても、漁船のようなちゃちなものではない。それは船と呼んでいいのかどうかさえ、分からない形をしていた。
船縁が低く幅が広いそれは、櫂を動かしている様子はないのに、高波にも関わらず滑るように海を進むのだ。
そして何よりも人々を慄かせたのは、船に乗っている異国の人間だった。見たこともないような揃いの服を身に着け、肩に抱える鉄の管を持っている。
小舟は岸間近で、一列に並ぶようにしてぴたりと止まった。ごろごろと遠くで雷鳴が聞こえる。降り出した雨の中で、それは生き物のように、黙ってそこにあった。
「……殺される」
誰かが小さく呟いた瞬間、住人たちの中で一気に恐怖が爆発した。
「皆殺しにされるぞ!」
「逃げろ!」
「東のやつらに続け!」
――
その頃、牢の中では雷の音だけが、狂いなく時を刻んでいた。
ここに連れてこられて、9日が立った。喜兵寿は壁に刻み付けた「正」の字に目をやり、ため息をついた。
澱んだ空気に漂うのは、湿った土と人のにおい。汗に排泄物、そして時折混じる血の匂い。噂には聞いていたが、牢座敷は「殺さずに、命を削る場所」であった。
横になれば足がつかえ、立ち上がれば頭がつかえる。日の光は届かず、昼か夜かも定かではなかった。そんな中、喜兵寿は外からの音だけを頼りに、かろうじて平静を保っていた。通りに割と近い牢なのだろう。昼であろう時間は、門番たちの雑談が聞こえてくる。
それに対し、夜はうめき声、怒声、泣きわめく声、頭を打ち付ける音……自分もしばらくここにいれば、彼らと同じようになってしまうかもしれない、そんな恐怖を感じつつも、「夜の音」として認識するようになっていた。
ひときわ大きな雷鳴がなり、喜兵寿は肩をすくめた。
(びいるは一体どうなっただろう。醸造は順調に進んでいるだろうか)
1日に何百と考えるこの問いを、再び噛みしめる。怒りも苛立ちも、5日もすれば薄れてきた。いや、薄れてきたというより、大きな塊となって腹に沈んだという方が確かか。取り出そうとすれば、すぐにでも爆発しそうなそれは、今は諦めとなって沈黙している。
「この縄が切れるのなら。雷だって大歓迎だ」
喜兵寿は足を縛り付けている縄を、雷鳴に紛れるように何度も擦った。
※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
協力:ORYZAE BREWING
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。









