【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗 142~蔵の才人と傾奇ブルワー、時を超えた仕込み 其ノ伍
ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。
※作中で出来上がるビールは、現在醸造中!物語完結時に販売する予定です

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摺れよ摺れ摺れ 酛摺れよ
伊丹の蔵に 朝が来る
そいとせ そいとせ
米は新米 水は井の水
職の手のひら 言葉なく
摺ればしずかに 音がする
酒の命が 目を覚ます
初めて聞く酛摺り唄は、単調でありながらも力強く、静かに何かが整っていくような響きだった。
喜兵寿とつるにあわせ、直も「そいとせ そいとせ」と声をあげる。
大釜の中の液体は、櫂(かい)の動きに合わせ柔らかくその表情を変える。米の甘い匂い、そしてその中にふわりと青草のようなホップの香りが漂う。
――どうか無事に酒の命が目を覚ましますように
その時、遠くで鐘の音が鳴った。
「火を!火をとめてくれ!」
直はつるに叫ぶ。甘酒の濾液のボイル終了の時間、そして最後のホップ投入のタイミングだ。
直は袋の中を覗き込むと、残ったホップをすべて大釜の中へと投入した。乾燥ホップは、ゆっくりとゆっくりと沈んでいく。
直は祈るような気持ちで、その姿を見送った。もうこれで手元にホップはない。もしも失敗をしたとしたら、ゲームオーバー確定だ。
「この最後のホップが“アロマホップ”。ビールに香りをつけるという役割を担ってくれるはずだ」
煮沸がはじまったタイミングの苦み付けのためのホップ、30分ほど経過した後の苦みと香り付けのホップ、そして火を消した後にいれる香り付けのホップ。
大釜の中をゆるりと漂うそれらは、明日の朝には鍋の底に静かに沈んでいるだろう。そして、ビールに新たな息吹を与えてくれているはずだ。
「同じほっぷなのに、いついれるかで役割が変わるのだな。実に興味深い」
袋の底に残った小さなホップの欠片をつまみ上げると、小西はつぶやいた。
「清からの薬草に、このような使い道があるなど思ってもみなかった。いつかこの啤酒花をを日本酒にも使ってみたいものだ」
その言葉に、喜兵寿が目を輝かせた。
「確かにそれ、おもしろそうですね!ぜひ醸造の際には、ご一緒させてください!」
「いいな。では清より多めに啤酒花を仕入れておこう。でもまずは……」
小西はふうっと息を吐き出す。
「まずはびいるを成功させなければな。びいるが出来なければ、お主たちは座敷牢行き。そうなれば酒造りはおろか、冬を超えることすらできないのだろう?」
その言葉に、蔵内の空気がぴりっと張り詰める。村岡との約束から早2か月強。残された時間はあとわずかだ。
もしもこのビールが失敗してしまったら……再び頭に浮かんだ黒い不安を拭い去るよう、直はぶるぶると大きく首を振った。
「そうそう!まずはこのビールを最高においしく仕上げて、村岡の野郎をぎゃふんと言わせてやろうぜ」
醸造の第一段階は終わった。あとは一晩放置し冷却、自然酵母が下りてくるのを待つという工程だ。
直は喜兵寿、小西で協力をし、大釜の中身を半切り桶へと移していく。もうもうと上がる湯気に交じって、蔵の中に充満するホップの香り。
あまい、あおい、深い、あまい……
直はその匂いの粒ひとつひとつを確認し、そこに「焦げ」がないことに胸を撫でおろした。もちろん後ほど舌でも確認をするが、恐らく焦げによる影響はほぼないといって大丈夫だろう。
大釜の中身を移し終えると、半切り桶たっぷり2つ分ほどだった。それを外気の入る小窓の下へと置く。
「最近、朝晩は冷え込むようになってきたからな。明日の朝には十分に冷えているだろう。心配なのは……」
直は頭上を見上げ、見えないものを見ようとするように目を細める。
「無事酵母が下りてきてくれるか、だな。ま、酒蔵だから大丈夫だと思うけど……」
「こうぼ、とは確か“酒の神”のことだったよな?」
喜兵寿も同じく上を見上げると、大きく2つ柏手を打った。
「祈ろう。きっと酒の神は俺たちのことを見てくれているはずだ」
そう言って深く頭を下げる。それに従うように、小西、つる、直も順に頭を下げた。
「俺はまだ生きて、いろんな酒を飲みたい。それに……酒を造りたい」
―続く
※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
協力:ORYZAE BREWING
※記事に掲載されている内容は取材当時の最新情報です。情報は取材先の都合で、予告なしに変更される場合がありますのでくれぐれも最新情報をご確認いただきますようお願い申し上げます。









