「黒ビールは度数が高い」「泡は少ないほうがお得」?――ビールの“誤解”から見えてくる、本当の面白さ【JBJAChannel】
ビールに愛された皆さまへ。
ビールに詳しいような顔をしていると、飲み会の席でビールについてこんなことを言われることがあります。
「黒ビールって普通のビールよりアルコール度数が高いの?」
「泡だらけ!最悪!」
「ビールはキンキンに冷えているのが一番に決まってる」
ビールを少し学んだ人なら、「いや、それは違う」と言いたくなるかもしれない。私も以前はそうだった。
実際、それらの多くはビールの専門知識としては正確ではない。
しかし私は最近、「誤解だから正すべきだ」という考え方そのものに少し違和感を覚えるようになった。
なぜなら、多くの場合、その誤解には誤解なりの理由があるからだ。
そして、その理由をたどっていくと、ビールという飲み物がどのように飲まれ、どのように愛されてきたのかという文化の姿が見えてくる。
ビールの面白さとは、単に正しい知識を知ることではない。
むしろ、人々が抱いているイメージの背景を知ることにあるのかもしれない。
黒ビールは本当に「強い」のか

「黒ビールはアルコール度数が高い」
おそらくビールに関する誤解として最も有名なもののひとつだろう。
もちろん、醸造学的にいえばこれは正しくない。
ビールの色は主として麦芽の焙煎度合いによって決まり、アルコール度数とは別の要素だからだ。
淡い黄金色のビールでも8%を超えるものはあるし、アルコール度数5%前後の黒ビールも世界中に存在する。
ここまでは教科書的な説明である。
しかし、それだけで話を終えてしまうのは少しもったいない。
なぜ多くの人が「黒ビールは強い」と感じるのだろうか。
考えてみれば、それは極めて自然な感覚である。
人はまず目で飲む。
透明感のある黄金色の液体と、光を通さない漆黒の液体が並んでいたら、多くの人は後者に重厚さや濃厚さを感じるだろう。
実際、ロースト麦芽由来の香ばしさやコーヒーを思わせる風味は、味覚・嗅覚的にも「強そう」という印象を与える。
さらに日本では、長い間、黒ビールが限定商品やプレミアム商品の文脈で販売されることも多かった。
消費者が積み重ねてきた経験の中で、
「黒いビールは濃い」
「濃いビールは強い」
という連想が形成されたとしても不思議ではない。
だから私は、この認識を単なる知識不足とは思わない。
むしろ、それは日本のビール文化が生み出した一つの感覚なのだと思う。
興味深いのは、「スタウト」という言葉にも似た現象が見られることだ。
現在の日本では、「スタウト」という名称が比較的自由に使われている。濃色ビールの商品名として認識している人も少なくないだろう。
スタウトという言葉も面白い。
日本では「黒ビールの名前」くらいに思われていることが少なくない。
ところが本来はそうではない。
世界にはビアスタイルという考え方があり、スタウトもその一つだ。
つまりスタウトとは色の名前ではなく、歴史や製法、香味によって形作られた一つの個性なのである。
泡は邪魔者なのか

「泡が多いと損した気分になる」
そう考える人は今でも少なくない。
実を言うと、私自身も若い頃はそうだった。
運ばれてきたビールを見て、二つ並んだジョッキなら、泡の少ないように手を伸ばした。液体の量を純粋に欲していたからである。
ところがビールを学び、世界のビール文化に触れるにつれ、その考えは少しずつ変わっていった。
決定的だったのは、チェコの伝統的な注ぎ方である「ミルコ(Mlíko)」を知ったときだった。
グラスのほとんどが泡。
初めて写真を見たときには冗談かと思った。
ところが実際に体験した人々の感想を聞くと、その印象はまるで違う。
きめ細かく整えられた泡は、単なる泡ではない。
滑らかで柔らかく、舌の上をベルベットのように流れていく。
液体と泡の境界が分からなくなるほど繊細で、ふわりとした甘みさえ感じさせる。
それは「液体の上に乗った泡」ではなく、一つの完成された飲み物としてのビールだった。
優れた泡には、人の心を引き込む力がある。
グラスの縁に美しく盛り上がるクリーミーな泡を見ただけで期待感は高まり、一口目の印象は大きく変わる。
もちろん泡には実用的な役割もある。
グラスの清潔さを示す指標でもあり、泡立てて注ぐことで炭酸を調整し、液に蓋することで香りを保持し、口当たりを整える。
だが、それだけではない。
泡は感情に働きかける。
きめ細やかな美しい泡を見て注ぎ手の腕の確かさに感心し、「おいしそうだ」と感じる気持ちは、決して錯覚ではないのである。
アイリッシュの名品であるギネスのドラフトを注文したときに現れるカスケード現象も同じだ。
ゆっくりと泡が形成されていく様子を眺めながら待つ時間さえ、一つの体験になっている。
ビールは味覚だけでなく、視覚や触覚も含めて楽しむ飲み物なのだ。
ビールはキンキンに冷えているほどおいしい?

※AIで生成したイメージ画像
日本人にとって、冷たいビールは特別な存在である。
夏の日差し。
冷えたジョッキ。
のどを駆け抜ける爽快感。
その魅力を否定する人はいないだろう。
しかし、すべてのビールにとって「冷たいほど良い」が正解というわけではない。
それぞれに「おいしい」を際立たせる温度帯があるのだ。
ピルスナーにはピルスナーの適温があり、アルトにはアルトの、ヴァイツェンにはヴァイツェンの適温がある。
そしてベルジャンのトリペルやバーレイワインといった、アルコール度数の高いビールになるほど、その変化は興味深くなる。
少し冷えた状態から飲み始める。時間の経過とともに温度が上がる。
するとグラスの中で閉じていた香りが徐々に開き、ホップ由来の華やかなアロマやモルトの香ばしさが豊かに感じられるようになる。
同じ一杯でありながら、まるで別の表情を見せてくれるのである。
冷たさは魅力の一つだ。
だが、魅力のすべてではない。
ビールは温度によって語り方を変える飲み物でもある。
「誤解」を否定するためではなく
ビールの世界に足を踏み入れると、多くの「正しい知識」に出会う。
色と度数は関係ない。
泡には文化がある。
適温は一つではない。
どれも間違いなく事実だ。
しかし私は、ビアジャーナリストの役割は「それは間違いです」と指摘することだけではないと思っている。
なぜそう考えられるようになったのか。
なぜそのイメージが生まれたのか。
その背景にどんな文化や歴史があるのか。
そこにこそ、ビールを語る面白さがある。
「黒ビールは強そうだな」
そう思ったことがきっかけで黒ビールを手に取った人もいるだろう。
「なんてきめ細やかな泡なんだろう」
一杯のビールの美しさに感嘆した人もいるだろう。
興味は、必ずしも正確な知識から始まるわけではない。
だからこそ、誤解は敵ではない。
ビールの世界へと続く入口なのだ。
その入口の向こう側には、私たちがまだ知らない一杯が待っている。
それだけで、ビールという飲み物は十分に面白い。
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